「まるで空気」の衝撃から半世紀。2026年、なぜ今フレンチクルーラーが空前のブームを巻き起こしているのか
フレンチ クルーラーは、一口かじった瞬間に消えてなくなるような軽やかさで、長年日本のドーナツファンを魅了し続けてきた。シュー生地を油で揚げ、グレーズ(糖衣)で包み込むこのクラシックな一品が、2026年の今、かつてない進化を遂げて洋菓子界の主役に躍り出ている。ズッシリと重い「生ドーナツ」ブームが一巡した東京の街角で、人々が求めたのは皮肉にも、軽快で洗練された空気の層だった。
都内のパティスリーや話題のクラフトドーナツ専門店がこぞって独自の解釈を加えたプレミアムなフレンチ クルーラーをメニューの看板に掲げ始めたのは、今年に入ってからのことだ。極限まで水分量を保持した特製生地と、国産の発酵バターや希少な卵黄をふんだんに使用したカスタードの組み合わせは、従来のファストフード的なイメージを鮮やかに覆した。一時期は仕込みの難しさや歩留まりの悪さから取扱店舗が減っていた背景もあるが、最新の調理科学と熟練の職人技が見事に融合し、新たな黄金期を迎えている。
「重いスイーツ」への反動。なぜ今、軽さが選ばれるのか

トレンドの周期は巡る。ここ数年、日本のスイーツ市場は濃厚なクリームを限界まで詰めた生ドーナツや、ズッシリと重厚なボンボローニに支配されていた。しかし、消費者の胃袋と感情には限界があったようだ。
「毎日食べるには少し重すぎる」——そんな声が都心のオフィス街やSNSのタイムラインで急速に拡大したのは昨年の冬。その反動として浮上したのが、水蒸気の力でふんわりと膨らむシュー生地である。胃にもたれない軽快な食感。それでいて、表面のシュガーグレーズがもたらすパリッとした儚い甘さ。重厚な甘さに疲れた現代人にとって、この「空洞の美学」こそが最高の癒やしとなったのだ。
水と卵が織りなす「空気の物理学」——生地づくりの過酷な裏側

ふんわりとした食感の裏には、極めて繊細な物理現象が隠されている。イーストで発酵させる一般的なドーナツとは異なり、この生地を膨らませる原動力は「水分の一気な気化」だ。
鍋で水とバター、小麦粉を練り上げ、熱を加えた状態で卵を少しずつ加えていく。この「糊化(こか)」の工程における温度管理がわずか1度狂うだけで、揚げたときの膨らみは激変する。180度の油に入れた瞬間、生地内部の水分が爆発的に蒸気となり、卵のタンパク質がその膨張をしっかり支える。網目状に広がる緻密な空洞。油から引き揚げる一瞬のタイミングが、サクッとした歯触りと、口の中でほどけるしなやかさの境目を決める。極めて歩留まりが低く、機械化が難しい理由がここにある。
ミスタードーナツの金字塔と、クラフト新波の奇妙な化学反応

日本におけるこの甘い輪っかの歴史を語るうえで、ミスタードーナツの存在を外すことはできない。1973年の登場以来、幾度となくマイナーチェンジを重ねながら日本の国民的おやつとして君臨してきた。
興味深いのは、2026年現在のブームが老舗の定番商品と、新進気鋭のクラフト系ベーカリーの「相乗効果」によって加速している点だ。老舗チェーンが守り続けてきた親しみやすい味わいがベースにあるからこそ、独立系パティシエたちが挑む「和三盆グレーズ」や「有機ピスタチオカスタード」といった実験的なアプローチが際立つ。世代を超えた認知度があるからこそ、イノベーションの振り幅が際立つのだ。
2026年トレンド:「生フレンチ」とハイブリッド進化
今年、もっとも注目を集めているのが「生フレンチクルーラー」と呼ばれる新ジャンルだ。従来のサクサク感とは一線を画し、口に入れた瞬間に生地とクリームが同時に溶け出すような水分率を誇る。
さらに、表参道や代官山の立ち寄りスポットでは、甘さを抑えた「セイボリー(惣菜系)」の進化形も登場した。トリュフオイルを効かせたクリームチーズを挟んだものや、生ハムと完熟イチジクを添えたプレートなど、ブランチやワインのペアリングとしての需要を急速に開拓している。おやつという枠組みを完全に飛び越えた格好だ。
原材料高騰の嵐を越えて。贅沢な「1口の体験」へ
もちろん、明るい話題ばかりではない。近年の卵価格の急騰や、輸入バター・小麦粉の価格高騰は、洋菓子業界全体に深刻な影を落としている。卵を大量に使用するシュー生地は、コスト面で最も打撃を受けやすい部類に入る。
それでも店舗が提供を止めないのは、顧客が求める「体験の質」が変化したからだ。単にお腹を満たすためではなく、質の高い1個をじっくりと味わう。価格が上がっても、それに見合う職人の技術と最高の素材が投入されていれば、消費者は惜しみなく財布を開く。1個数百円の小さな輪っかに込められたクラフトマンシップが、価格競争とは無縁の独自の価値を築いている。
日常の記憶を呼び覚ます、ノスタルジーと先進性の交差点
幼い頃に箱を開けたときのあの独特の甘い香り。指についた粉糖を舐めた記憶。誰しもに小さな思い出があるからこそ、このお菓子には特別な情熱が宿る。
テクノロジーが加速し、食の景色が目まぐるしく変わる2026年。私たちがこの軽やかな渦巻きに惹かれ続けるのは、単なるトレンドの消費ではない。伝統的な技術への敬意と、常に変化を受け入れる日本の食文化のしなやかさが、そこにあるからだ。明日もまた、街のどこかで香ばしい油の匂いとともに、新しい空洞の芸術が生まれている。 (出典: フレンチ クルーラー(Yahoo!ニュース))